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筆者は山登りが趣味で、北アルプスなど学生のときよく登った。
先日も北陸の白山という山に登ったが、その時の非日常的な絶景は目に焼き付いて忘れられない。
また、昨年はドバイにいったが、そのとき、延々と続く砂漠の景色に感動した。
非常に昔のことだが、学生のときにマッターホルンの氷河を見てやはり感動した。
なぜ人間は、非日常的な絶景、荒々しい山岳地帯、
砂漠、氷河などの風景を見て感動するのであろうか?
感動するということはドーパミンなどの成功報酬系のホルモンが脳内に分泌されることに他ならない。
ドーパミンは、生物にとって種の繁栄や身の安全を守るための行動を促すために分泌されると考えらる。
しかし、荒々しい山岳地帯、砂漠、氷河など、人間が生きていくには厳しいところばかりである。
それを観て感動することになんの意味があるのであろうか?
もしかしたら、それがホモサピエンスをここまで繁栄させた原動力ではないか?
ホモサピエンスは、アフリカで誕生してわずか数万年で、ほとんどの大陸に進出して生存圏を拡大した。
おそらくその時に、生きていくには困難な、山岳地帯、砂漠、氷河を超えていく必要もあっただろう。
そのような風景を見て感動することが原動力となり「もっといろんな世界、もっと見たこともない風景を見たい」という
感動に浸りたいがために、ホモサピエンスは世界に進出していったのではないか?
ホモサピエンス以外にも多様な人類はいたが、結局ホモサピエンス以外は、淘汰された。
ホモサピエンスの「もっと新しい世界を見たい。もっと新しい風景を見たい」
という欲望が、世界中に人類を進出させて、多少の天変地異では絶滅せずに、
ここまで人類を繁栄させたのではないか?
ひょっとしてそれがホモサピエンスと他の人類の差になったのではないか?
険しい山岳地帯を見て感動しない人類は、あえて冒険を試みず特定の安住の地にふみとどまっていた場合、
急な天変地異、例えば破局噴火などあえば滅びてしまっただろう。
ホモサピエンスは世界中にちらばったため、多少滅びても生き延びる確率がはるかに高いだろう。
以上を考えれば、風景を見て感動するのは、生物学的に見て生存圏の拡大という視点で意味のあることではないだろうか?
おそらく人類がもっとも感動するのは、そう考えると「宇宙」ということになろう。
通常は脳の中にある記憶を比較して「感動する」というデータベースと一致させて、それが一致すればドーパミンがでてくる
ということが考えられる。
宇宙だけは、地球上の生物で見たことがない風景であり、データベースを呼び起こして
感動するということは考えられない。
宇宙はまさに究極の「見たこともない風景」である。
だから、宇宙を見ると感動も半端ないのであろう。