ファイナンス稲門会
非財務情報セミナー~経営と開示の方向性
ダイジェスト版
編集・監修 ジェイ・フェニックス・リサーチ株式会社
2019年6月
非財務情報や社会的価値が社会的な注目を集めています。
CSRやSustainability Reportに端を発し、ESG投資に注目が集まり、日本での統合報告書の発行企業が400社を超えるなど急速に広がりを見せています。国連が17項目のSDGsを発表し、社会課題解決への取組が 明確に社会的価値として明示され、企業の積極的な取組も期待されています。2019年6月において早稲田大学ファイナンス稲門会、同志社東京校友会、WICIの協働で、内閣府、アカデミア、アナリスト、発行企業の論客を集め、非財務情報に関する現状分析や今後の方向性を踏まえたパネルディスカッションを行いました。
その中で、弊社代表の宮下がモデレーターをつとめさせていただきました。以下セミナーの内容の抜粋をご紹介いたします。
1. セミナー概要とパネリスト一覧
本セミナーは、「非財務情報の経営と開示の方向性に関して、あるべき姿と現状のギャップを認識し、ギャップを埋めるための重要な課題を絞り込む」というゴールを設定しています。本セミナーで出た話題をもとに次回以降のテーマを抽出し、さらなる理解と発展を目的としています。
▉ パネリスト(産業) 山口 善三 様
ピジョン株式会社 経営企画本部チーフマネージャー
1997年にピジョン株式会社に入社。国内営業を10年、国内マーケティングを担当後、現部署に異動。
▉ パネリスト(政府) 住田 孝之 様
内閣府 知的財産戦略推進事務局長
1985年に通産省(現経済産業省)に入省。知的財産政策室長、技術振興課長、情報通信機器課長などとしてイノベーション政策を担当。資源燃料部長、商務流通保安審議官、などを歴任後、現職。
▉ パネリスト(産業) 松島 憲之 様
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社チーフアドバイザー
1982年に日興証券株式会社に入社し、32年間アナリストとして長らく国内自動車業界を担当。その後、三菱UFJモルガンスタンレー証券でアナリストの教育及び指導役を経て、現職。
▉ パネリスト(学会) 花堂 靖仁 先生
早稲田大学知的資本研究会 上級顧問
1964年早稲田大学第一商学部卒業。1970年早稲田大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。國學院大學教授、早稲田大学大学院商学研究科教授を経て、現職。
▉ モデレーター 宮下 修
J-Phoenix Research Inc. 代表取締役社長、CFA協会認定証券アナリスト
1989年野村総合研究所に入社。その後、スタンスチュアートにて日本人初のEVAコンサルタントに就任。メリルリンチ証券等で投資銀行業務を経験後、2005年にジェイ・フェニックス・リサーチに参画。2009年より代表取締役。
2. ピジョン(7956)での実例~山口様~
育児用品で国内トップ、利益率も高水準を維持
ピジョン社は創業62年目の育児・マタニティ・女性ケア・ホームヘルスケア・介護用品等の製造、販売及び輸出入、並びに保育事業を展開している企業です。売上高の半分以上を海外が占めています。また営業利益率も直近で18.7%と高水準です。
社会価値向上を企業価値向上へ
ピジョン社は社会価値と経済価値はトレードオフの関係ではなく、社会価値を高めることで、経済価値も上がると考えています。始めに社会価値の向上を図ります。そのうえで社会価値の実現度を測定したものが経済価値であるという考え方です。会社の方向性を定めるという点で社会価値は車の前輪をイメージしており、経済価値がドライブであると考えています。
ピジョンの商品が主に乳児向けであるということもあり、当社は社会的な課題と非常に近い位置づけにあります。日本の10人に1人が低出生体重児といわれる小さい赤ちゃんです。近年出生数は減ってきている一方、低出生体重児率はむしろ増えてきています。そういった低出生体重児はNICU1という特殊な病院に入って、最初はチューブで栄養をとりますがその後は自分で飲むトレーニングをする必要が発生しています。1500g程度まで成長すると、最初の乳首としてピジョンの哺乳瓶が使用されるようになります。低出生体重児向けの哺乳瓶はロットが少ないので非常に単価が高く、他社では高価格になっています。一方ピジョンではこの分野で利益を追求していません。そのうえ低出生体重児向けの研究を行っているのは世界でもピジョンだけなので、世界最高品質を提供しているといえます。
搾乳室の設置も進めており、日本ではまだその数は多くないですが、中国では5000か所以上設置しております。これは政府と連携して公共機関に設置した場所や、企業との協力の下設置している場所の他、完全に自社のみで設置している場所もあります。
企業価値分析と価値向上のための戦略
▉ 企業価値向上のために:第6次中期経営計画における12の課題
1 Neonatal Intensive Care Unit、新生児集中治療室。
(出所)山口様ご提供資料より抜粋。All Rights Reserved © PIGEON CORPORATION [無断掲載複製厳禁]
PVA分析によるキャッシュフロー経営管理
この12の課題の中でも、PVAというものを取り入れています。これはスタンスチュアート社のEVA2を自社でカスタマイズしたものです。
▉ 企業価値向上のために:PVAとは?
(出所)山口様ご提供資料より抜粋。All Rights Reserved © PIGEON CORPORATION [無断掲載複製厳禁]
オムロン様のROICツリーと同様にEVAをブレイクダウンして、各項目で目標を設けています。下図は全社単位で作成したものですが、事業部門及び子会社単位でも作成しています。月次目標を設けており、金額及び効率性を追求しています。
ピジョンは成長企業であるため、ROICだけを追求すると分母を抑えようとしてしまう可能性もあります。ピジョンはワーキングキャピタル3が非常に大きいという問題を抱えているので、その部分に特化しています。
▉ 企業価値向上のために:HOW WE CREATE VALUE
2 Economic Value Addedの略称。企業が生み出した価値であり、超過利潤のことをいう。SternStewart&Co.の登録商標
3 運転資本。事業を回していくにあたり必要な資産のこと。
(出所)山口様ご提供資料より抜粋。All Rights Reserved © PIGEON CORPORATION [無断掲載複製厳禁]
3. 経営デザインシート4による企業価値の見える化~住田様~
価値デザイン社会と知的財産戦略
日本はこれからどのような社会になっていけばよいのか?その一つの仮説として、2018年6月に発表した「知的財産戦略ビジョン」では、「価値デザイン社会」を提唱しました。多様な価値が追求される中で、個々の個性を活かして新しいアイディアを次々と生み、それに共感を得て価値として実現していくということです。価値デザイン社会に適合した企業の代表例としてはGAFA5が挙げられます。GAFAは「暮らし」を軸として考え、何が求められているのか、それをどう実現していくのかを考えてイノベーションをもたらしています。価値デザイン社会を実現するためには、個々の尖った能力を最大限活用し、さらにそれらを融合させて、新しいアイディアを構想(デザイン)していくことがまず必要です。加えて、その新しいアイディアが社会の共感を得て価値として実現していかなければいけません。受け手を意識しながら新しい構想を組み立てていくことが必要です。では、個々の企業でどのようにしたらそれを実現できるのか?それを補助するためのツールとして「経営デザインシート」というテンプレートを作成しました。
▉ 経営デザインシートの概要(事業用)
(出所)住田様ご提供資料より抜粋。All Rights Reserved © Cabinet Office Intellectual Property Strategy Headquarters [無断掲載複製厳禁]
まず、企業や事業の存在意義を再確認したうえで、これまでなにをやってきたか、これからどんな価値を実現したいか、そのために、何を使ってどのようなビジネスモデルにするか、を考え、そこへの移行戦略を考える。それを簡単なテンプレートにしたものが経営デザインシートです。
取締役の間での意識の共有などで活用いただくのが一番良いのですが、関係者の思いを確認し、議論してひとつにしていくプロセスが大事です。最近ではジェイ・フェニックス・リサーチ株式会社でアナリストレポートの中で活用していただいており、会社の全体像が非常に分かりやすくなっています。
経営デザインシートは将来像を明確化することができ、また何に立ち戻って考えればいいかを教えてくれます。また、対話のツールとしても有効です。知的資産経営報告から統合報告という世界の流れを作ってきましたが、まだまだ本当に大事な骨格の部分がわかりにくい。特に将来どんな価値を実現したいのかがわかりにくい。経営デザインシートの活用で、単純な一枚の紙で全体を見ることが広がっていくとより良いと思っています。
4. 証券アナリストの視点から見た非財務情報 ~松島様~
これからのアナリストに必要な2つの要素
近年MiFID26による手数料減少や規制強化、またビッグデータ活用の重要性の高まりから証券アナリストに求められるレベルが上がり、差別化も難しくなってきています。ゆえにレポートに資金を割く投資家自体が少なくなってきており、今後のレポートの収益化が厳しい状況にあります。
厳しい状況下で、差別化及びレポートの収益化にはビッグデータの有効活用と非財務情報の有効活用が必要です。アナリストの仕事自体は変更はないのですが、「差別化」を考えるうえで①仮説(収益予想など)の構築、②検証と仮説の修正の重要性が高まっています。従来であれば、仮説の構築は事実の積み上げで次の2,3年などの近未来的なものでも十分でしたが、最初に述べた事業環境の変化に伴い5年後、10年後の予想が必要となってきています。その上でビッグデータの活用が重要視されています。
▉ 今後の最重要課題は非財務情報の企業価値分析への応用
6 EUでの金融に係る包括的な新規制のこと。
(出所)松島様ご提供資料より抜粋。All Rights Reserved © Mitsubishi UFJ Research and Consulting [無断掲載複製厳禁]
上記図のような運用スタイルの変化、MiFID2による情報規制に伴いアナリストが自身の専門分野である財務情報の分析だけでは他との差別化が図れなくなってきており、企業価値分析において従来の財務情報の分析に加え、非財務情報の分析を加えることが大切になってきています。
つまり、現状として、ただ財務情報をはじめとする公開情報をまとめたレポートでは投資家に売ることは困難であり、アナリストが価値あるレポートを提供するためには非財務情報とビッグデータの有効活用による長期的予想をする必要があります。問題点についても証券アナリストと同様にアナリストの質が主に争点となっています。財務情報の収集、反映を前提条件としたうえで、収益予想につながる非体系的な非財務情報を「アナリストの力」で整理し、収益予想に繋がる情報として昇華させていくことがバイサイド のアナリストには求められています。
▉ 「価値協創ガイダンス」の全体像
(出所)松島様ご提供資料より抜粋。All Rights Reserved © Mitsubishi UFJ Research and Consulting [無断掲載複製厳禁]
その際にベースとなるものの一例が上記図の「価値協創ガイダンス」です。このモデルでは価値観からガバナンスの面まで広く企業について質問事項が設定されており、非財務情報を体系化するための一つのモデルとなっています。特に大切となってくるのが事業環境や外部環境の理解に必須な「ビジネスモデル」、「持続可能性・成長性」、「戦略」の3つです。
5. 総括
過去の歴史を捨てる勇気
花堂先生によれば、時代が変わっていく中で制度の変化が遅れているように感じられるとのことでした。花堂先生はそこのギャップを埋めるためには歴史の逆を見ていくという意味でのバックキャスティングによる制度の変革というものも大切なのではないかという意見で、具体的には一例として統合報告書を企業関係者への情報開示の形態のゴールとすることを問題視していました。理由としては大きく2つあり、1つ目は財務会計情報のみでは企業の価値を測れなくなってきているということ、2つ目は財務報告の形骸化が起きているということを挙げています。これまでのところでも見てきたように、非財務情報が重視されている中で財務会計情報を報告の主眼に置いていたこれまでの報告書という形態以外にも情報開示の形態として適切なものがあると考えられ、それを考える上ではこれまでの進歩の歴史を捨て去り新たな考え方をすることも大切かもしれません。
企業の存在意義の変化
松島様、住田様が言うには、現代の企業の存在意義、目標は幅広くなってきており、以前は「稼ぐ力をつけること」が目標であったのに対し、今では「企業が実際にどのような会社になっていきたいか」、「どのように社会に価値提供をして変えていきたいか」などの目標がたち、財務情報のみの企業価値算定が難しくなってきているそうです。そこで大切になってくるのが非財務情報であり、対話によって企業のやりたいことを経営デザインシートに落とし込み、価値を共協創することが大事であるとおっしゃっていました。電力発電がいい例で、原子力発電は今のところ反対者も多く障害となるものが多くあるものの、将来を考えた際にないと厳しいということは経団連も公表しているので太陽光発電などの再生可能エネルギーと組み合わせながら工夫しています。この工夫は短期的に見たら利益率が下がることではあるが、世間とすり合わせをしながら稼ぎ方を見つけていく上では必要な工夫であり、その際の長期的視野を見せる手段として経営デザインシートがうまく使えると考えられます。
今後の日本企業の在り方
ピジョン社を例にとってみると短期的な利益追求ではなく中長期的なビジョンを押し出すことで企業のブランド価値を高め、企業価値を高めている。実際に財務的な指標を見ても、利益率とROICが非常に高く、投下資本の売上高比という指標でみると日本の製造業の平均が80%なのに対しピジョン社は45%と非常に低い数値を達成しており、高付加価値の好循環を達成しています。花堂先生によれば、このようなこれからの企業の在り方のロールモデルともいえるようなピジョン社と他の企業の差は何なのかを考えると、それは自身の強みの把握と会社の目指す方向性を自身で考えているかということだと言います。ピジョンの真似をただすればいいというものではなく、自身で考え動くことが大事であるとされます。SDGsが注目され始め、企業とそのすべてのステークホルダーが協力してよりよい社会を作っていこうとする時代にある今、企業と社会のコミュニケーションの場が重要になってきます。
昔はコミュニケーションの場としてHPや定期報告がありましたが、これは財務情報のみを重視していた時代で、非財務情報が重視され始めている今、定期報告ではもはや不十分で、よりアクティブなコミュニケーションの場が必要です。その際に自身の会社がどのような強みを持っていて、その強みでもってどのように社会に貢献していこうと考え、共有していくことが大切になると言っています。これは実際ヒアリング等を通して宮下も感じており、ファクトとして上場企業の内1200社程度が説明会を開いておらずコミュニケーションの場自体を放棄している現状です。これが日系企業の割安の一因であると考えられ、この考え方の整理、伝達のツールとして価値協創ガイダンスや経営デザインシートは有用なのではないかと考えられます。